「上杉謙信と塩③」
2017.05.02
上杉謙信と塩③
そんな時、日本海側の上杉謙信は「われ信玄と争うは弓矢にあり、なんぞ米塩にあらんや」と言い、甲斐国へ塩を送ったのです。
とかっこよく書きたいのですが、実は上杉謙信が塩を送った事実を示す文献は見つかっておりません。但し、武田方からお礼として「引口」という太刀を送っています。
またの名を「塩留めの太刀」現在では重要文化財指定です。
これら事実を鑑み、現在の通説は 越後の上杉謙信は日本海側の物流を単純に止めなかった。武田信玄は上杉謙信が経済的に今川・北条両氏と挟み撃ちもできた状況にもかかわらず、それを上杉謙信がしなかったことに対して感謝した。
これを事実と見るのが正しいでしょう。
上杉謙信という人は色々謎の多い人ですが亡くなるエピソードにも「塩」が関わっています。
記録によると1570年ごろ、上杉謙信は脳卒中で倒れ片麻痺となっています。その8年後の3月に、重心たちとの酒席でお手洗いにたった上杉謙信は脳卒中を再発。一度意識を取り戻したが、再び昏睡状態となって帰らぬ人となりました。享年48歳。
(症状の記録から十中八九、脳卒中だそうです。)
結果として脳卒中ですが、間違いなく生活習慣病の高血圧が最終的な原因です。なぜなら上杉謙信はほぼ毎日、大酒を飲み、酒の肴も「味噌」「梅干し」であったという記録があります。塩分と酒の組み合わせは、動脈硬化している血管だったら大変危険です。例えるなら火事場にガソリンを撒くようなものです。
こんなことになるなら武田信玄も「塩留めの太刀」ではなく、当社製品「MFS塩分制限食」をお礼に送っていればと思う今日この頃です。