透析治療の歴史と日本の将来

2018.01.17

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透析治療と日本の将来②

慢性腎不全への透析療法が開始されたのは1960年代です。当時の透析技術は現代に比べると劣っていました。

患者のQOL(生活の質)は決して高くありませんでした。

 透析装置の技術が不十分であるため、数年で関節痛が現れ始める患者は少なくありませんでした。手足のしびれや歩行障害など、日常生活に支障をきたす人も多かったといいます。

 しかし、この時代に透析療法を受けることができた患者はまだよかったといえます。高額な透析療法を長期にわたって継続するのは、経済的に難しかったからです。1967年に透析療法に対して医療保険が適用されますが、それでも患者の負担は大きかったといいます。

 全国的に透析装置が不足していたため、糖尿病性腎症などの疾患は適応外、年齢45歳以上は適応外、導入後社会復帰が不能な症例は適応外といった内容でした。

 治療を受けられずに亡くなる腎不全患者は、必ずしも少なくなかったと言われます。透析療法を受けていても「金の切れ目が命の切れ目」といわれるなど、透析患者も不安な生活を強いられていました。
 転機となったのは1972年です。透析療法が身体障害者福祉法の対象となり、自己負担額に自立支援医療が適用されることによって、患者の経済的負担が大幅に軽減されました。

 1970年代には透析装置も現在の構造とほぼ同じものが登場し、透析療法は急激に普及します。

透析治療と日本の将来③につづく

 

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