⻑⽣きを楽し-節約を楽しむ

2018.08.09

<友達にご共有いただけます>

つまみ食い あんなに旨い ものなのに 

食べ放題では さほどでもなし

平成22年3月20日 青空浮世乃捨

 

妻が「きんぴらごぼう」を食べています。キラキラと光沢があります。小さく輪切りされた赤唐辛子がルビーのように輝き、魅惑的です。

妻が台所に立った隙に「きんぴらごぼう」をつまんで、口に放り込みました。昇天するほど美味でした。

妻から、「今度の解放日には何が食べたい?」と聞かれました。間髪入れず、「きんぴらごぼう!」と答えました。

解放日がやってきました。

食卓にきんぴらごぼうがごっそり出されました。「待ってました♪」と、思い切り箸で摘み、口一杯に頬張りました。

「おやっ?あの時ほど美味しくない…」という印象でした。つまみ食いだったから、あんなに美味しかったのです。食べ放題では、さほどでもないのです。制約があるからこそ、より美味しいのです。より楽しいものとなるのです。何事もそうですよね。

これは、食事療法を一生懸命にやっていた時の狂歌とそのコメントです。『食事療法を詠む』(発行所株式会社エムジェエム、平成24年5月30日)に掲載したものです。

 

実は、これには裏話があります。あの頃、主治医の食事療法の世界的権威である昭和大学藤が丘病院客員教授・出浦照國先生の熱心なご指導と、妻の「私が治してやる!」という熱意に支えられていました。そのような中では、「きんぴらごぼう」までしか書けませんでした。本当は「塩辛」もつまみ食いしていたのです。スーパーやデパ地下の試食コーナーを回るのが楽しみで、妻の買い物について歩きました。妻が買い物に気を取られているうちに、塩辛を試食しました。昇天した体験はないのですが、「昇天するほど美味」でした。そう表現する外ないほど、美味かったのです。「めまいがするほど美味しい」とか、「クラクラするほど美味しい」と言う言葉では、まだ足りない気がしたのです。「この世のものではない」というレベルだったのです。

「高血圧を治すには、食塩制限は不可欠だ」と出浦先生に教えられ、妻は厳しく食塩制限を徹底していました。計量器具を使って、0.1g単位で食塩を調整していました。それでも月1回の検査結果は、食塩オーバーとなっていました。出浦先生のスタッフの管理栄養士の先生と妻は、食事記録と検査データを見比べ、「なんでだろう?」と長い時間をかけて悩んでいます。つまみ食いを白状せざるを得ない状況です。きんぴらごぼうは白状しました。ですが、出浦先生と妻の熱意を知っている身としては、「塩辛を食べた」とまではどうしても言えませんでした。そんなわけで、あの句となりました。

平成24(2012)年6月28日に東京女子医科大学病院(東京都新宿区)で、妻から腎臓をもらい、腎移植手術を受けて健常者に戻りました。塩辛は大好物ですから、時々食しています。相変わらず美味しいのですが、食事療法中に試食コーナーで妻の目を盗んで食べた時のあの美味しさではありません。「昇天する美味しさ」までは届かないのです。「食べてはいけない」という制約の中で、その制約をかいくぐるからこそ、あんな味を体験できたのです。年を重ねてきますと、何かと条件が付けられ、自由にできないことが多くなります。食事が制限されることは述べた通りですが、運動も制限されます。年金生活では、金も自由に使えるというわけではありません。ですが、考え方です。「制約があるからこそ楽しい」、そう考えればいいのです。

そんな境地にしてくれた体験を、拙い句に詠みました。コメントは不要だと思います。誰もが似たような経験をされており、おわかりいただけると思います。 

パチンコの 景品ワクワク 苦学生

収入増えて 面白くなし

平成26年10月10日 青空浮世乃捨

 そんな体験をしたわけではありませんが、金も物もありすぎては面白くなさそうです。少なくも、パチンコの景品レベルではそのような体験をしています。自由にならないからこそ、有り難いのです。苦学生の頃は、パチンコの景品の缶詰が、チョコレートが有り難かったのです。文字通り「有り難い」のです。めったにないから有り難いのです。「有り放題」では有り難くないのです。年を取り、時間も金も体力も条件が付けられ、自由にはさせてもらえなくなりました。それだけに、その制約の中で楽しむ方法を見つけ出さなければならないのです。それができる状況というか、そうしなければならない状況となりました。ならば、その制約の中に本当の楽しみを見つけ、長生きを楽しみましょう。

わずかでも 捨てるが如く 使いたし

そんなお金が あれば楽しく♪

平成26年10月10日 青空浮世乃捨

年金受給額は、標準世帯で月約21万8,000円というデータを見ました。食費、光熱費、医療費等々、行き先は決まっています。振り分けてしまうと、残はありません。足りないくらいです。少々収入が多めであっても、振り分けたら残は出ないのです。必ず使途があるのがお金です。「御足」とは、お金の別称です。押さえておかなければどこかへ行ってしまうのです。

 そこで、入金額の10%でも5%でもまず削ってしまい、ないものとして押さえてしまうのです。その残を必要な支払いに振り分けたいものです。削り残し、押さえていた分は、「捨てるが如く」使いたいのです。「捨てるが如く」というのは、どうしても払わなければならないというイヤイヤ義務で払うのではなく、「払わなくともよいが、『やってやりたい』という一心で使うもの」です。孫に使いたいのです。お世話になっている方に使いたいのです。つまみ食いを楽しむように、制約をかいくぐって、少しだけでも年金も楽しみたいのです。そうしなければ、長い間働き払い続けたこの身が可哀相です。

制約を楽しむということは、そういう工夫だと思います。

 

いなべん(田舎弁護士) みのる弁護士法律事務所  「的外れ 2014年10月号より」

 

<友達にご共有いただけます>