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いなべん(田舎弁護士) みのる弁護士法律事務所    「的外れ 2006年11月号より」

2016.10.18

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千田 實 弁護士の的外れ 
2006年11月号 より

 

著者プロフィール

弁護士 千田 實 氏(ちだ みのる)

みのる法律事務所 所長

 

 雅号 青空浮世乃捨 

 

 

〜メディカルフードサービスとのつながり〜

MFSも賛助会員として参加しているNPO法人食事療法サポートセンターの理事として千田實先生も活動されております。

当社代表 松島は千田實先生の著書を読み、深く感銘を受け、少しでも多くの方に食事療法を長く続けて欲しいと思いニュースレターに抜粋記事として掲載していきます。

 

千田先生についてさらに詳しくはこちら→ http://www.minoru-law.com/profile.html

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『糖尿病と高血圧が治った ―生活習慣病は、患者も主治医』を書いています。

 

今回は、その予告として「はじめに」と「おわりに」の部分だけを転載しておきますので、お目を通していただきます。

 

メタボリックシンドローム及び生活習慣病は、いわば国民病とも言うべき状態となっております。この事務所便りをお読みの皆さまの中にも思い当たる方が多くいるものと確信します。

健康第一です。この本を読んで生活習慣をいくらかでも改善していただければ、この本を世に出す意味があるものと思います。是非ともご自身の健康のため、参考にして下さるようお願いいたします。

 

 

〜はじめに〜

 

この本は、どの段から読んでもらってもよい。

 

興味のある段を読んでもらえばよい。

 

「この段は、自分にも関係がありそうだ」とか 「この段は、父や夫の参考になりそうだ」などという段を選んで読んでもらえればよい。

 

お忙しい読者の皆さんに隅から隅まで読んでいただくような本ではない。興味のあるところだけお読みいただければ、それでもう十分である。

 

この本は、医師や医療機関や大学の医学部の学者が書いているものではない。学問書でも専門書でもない。だから、体系的に整理されてはいない。

 

順序よく読んでもらわなければならないという本ではない。

糖尿病と高血圧を治した患者夫婦の体験記だ。糖尿病と高血圧となった夫とその妻が、試行錯誤をしながら主治医より完治宣言を頂戴できた体験談をまとめたものだ。

ただ、思いつくまま書いたものだ。その体験の中より得た知識を、知ったかぶりをして「豆知識」などと称して少しだけ医学的なことにも触れている。

しかし、それはずぶの素人の書くものであり、医師や医療機関や学者などの専門家から見れば笑止千万というものであろう。医学的知識については、専門家が書いた本などで勉強してほしい。

この本では、読者の皆さんが糖尿病や高血圧で苦しんでいる患者の体験談に耳を傾け「そう言われれば俺もそうだ」とか「私にもそういう体験がある」などと思っていただければよい。

そして「もしかしたら、自分も糖尿病ではないか」とか 「高血圧ではないか」などと思い、診察を受ける切っ掛けとなってもらいたい。

さらに、生活習慣を改善しなければというお気持ちになってもらえればよい。

 

医師や医療機関や大学の先生方など医学の専門家がお書きになっている糖尿病や高血圧に関する本はたくさん出されている。

そしてそれらの本は、詳しくかつ素人にもわかりやすく書かれている。糖尿病や高血圧のパンフレットやインターネット情報も溢れるほどある。

それらは、素人の人にもよくわかるように整理されている。実に懇切丁寧である。だから、今さら素人である私達夫婦が糖尿病や高血圧の本を出す必要は全くない。

 

それではなぜこの本を出すか、である。これまで出されている本やパンフレットやインターネット情報は、そのほとんどが医師や医療機関や大学の先生によって作られたものである。

 

その目線は、医療の専門家の目線である。患者の目線で書くことに何らかの意味がありそうな気がする。医療の専門家の目線と患者の目線は、微妙に違っているかもしれない。そんな思いでこの本を書いてみることにした。

 

主治医である出浦先生にそのような思いを話したところ「患者の目線で生活習慣病について書くことは意義深い。専門的部分については私達スタッフが応援するから、是非書いてみてほしい」と励まして下さった。私達夫婦は、このお言葉で本気になった。

 

生活習慣病の予防及び治療には、生活改善が不可欠である。生活改善は、主治医の指導だけでは実現できない。

 

患者の努力がなければならない。

 

アメリカ大リーグのヤンキースで活躍している松井秀喜選手は

「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば生活が変わる。生活が変われば人生が変わる」

を座右の銘としていることを何かで読んだ。

 

まず、心が変わらなければ生活習慣は変わらない。この本を読んで 「よし、俺も食生活を改善してみよう」とか「私もウォーキングをしてみよう」とかの気持ちが湧いてくれたなら、この本を出すことの目的は完全に果たされる。

 

1人でも多くの人に、そのように心を変える切っ掛けになってもらえればと願うのみである。

 

出浦先生は、生活習慣病においては

 

「患者自身が主治医だ」と言われる。

 

患者自身が自ら自分の主治医となって生活習慣を改善しなければならないというのである。

この考え方からすれば、患者は患者であると同時に、医師ということになる。だから、ずぶの素人である患者も、自分自身の生活習慣病については医師で専門家であるとも言える。

 

そうは言っても、患者を医師の立場で診断・治療される医師と、医師の診断・治療により生活習慣病を改善しなければならない患者とは、立場の違いがあることは明らかだ。だから、出浦先生がおっしゃるように患者の目線で生活習慣病について書いてみることは、それなりに意義がありそうな気がする。

 

 

これもまた試行錯誤の1つだ。読者の皆さん、この本を読んで試行錯誤してみませんか!

 

 

平成18年(2006年)11月21日

田舎弁護士 千 田 實

妻 千 田 加代子

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〜おわりに〜

 

浮世をば 楽しみ尽くせ 病さえ

 

これは、本文でも紹介したが實の拙い川柳である。「呼吸が止まる瞬間まで、人生を楽しみ尽くさなければならない」と話しておられる老高僧の姿に接し、深い共鳴を受けた。

 

せっかくこの世に生まれてきたのだから、目一杯人生を楽しみたい。呼吸が止まる瞬間まで人生を楽しむということは、どういうことであろうか。呼吸が止まるということは、年老いてこれ以上は生きられないとか、病気でもう助からない、という状況に至っているということである。

 

だから、呼吸が止まる瞬間まで人生を楽しむということは、老衰も末期的病気も楽しむ、ということになる。

 

誰もが年を取る。

 

年を取れば病を得る。

 

呼吸が止まるまで人生を楽しむということは、老いていくことも楽しまなければならない。病を得ることさえ楽しまなければならない。

 

そうでなければ、呼吸が止まる瞬間まで人生を楽しむことなどできない。

そう思いつき、この川柳を詠んだ。年を取ることは寂しいことでもある。飲み放題、食い放題はできない。激しいスポーツも無理だ。

 

だが、経験を積んでいるだけに微妙な味の違いがわかる。若い頃よりは財布に余裕がある。高級料理を食することもできる。激しいスポーツは無理だが、ウォーキングはできる。ウォーキングをしながら、花鳥を楽しむこともできる。俳句や川柳はその人生経験を生かして詠める。病気を得たことにより、食事を制限しなければならないこともある。

 

飲み放題、食い放題の時代と比べると、食事を制限されているだけに食べ物の本当の旨味がわかるようになる。このように考えると、年を取ることも病を得ることも、楽しみの材料となりうる。

 

私達夫婦は、實が糖尿病と高血圧を得たおかげで、本書を共著することができた。病を得ていなければ、夫婦で共著を出すなどということは考えられない。

 

これは、糖尿病と高血圧のおかげだ。月初めの検査、月半ばの出浦先生の診察は、いずれのときもドキドキするが、楽しみでもある。検査結果がよければルンルン気分となる。結果が悪くて指導を受けても「よし、次回までに改善しよう」というやる気が湧く。診察日に出浦先生から「思ったとおり順調だ」などと笑顔で話されると、天にも昇るような気持ちとなる。

 

このように、かつて地獄と思えた検査や診察も、今では生活の大きなアクセントになっている。

糖尿病と高血圧は完治しているとおっしゃる出浦先生も「慢性腎不全は、完治はしない。腎機能が徐々に下がる。いつかは透析が必要なときが来ると思わなければならない。その時期を食事療法でできるだけ引き延ばそう」と言われる。

 

私達は今、出浦先生の指導の下で食事療法の真っ最中である。その体験を『私達はこうして透析を延ばした(仮題)』という本にして出そうと話し合っている。

そう考えると食事療法も興味深く、また楽しい。食事療法で透析を先延ばしすることはできそうだが、腎臓の機能は徐々に下がっていくことは間違いないようだ。

 

加代子は「透析しなければならなくなったら、私の腎臓を1つあげるから生体腎移植をしよう」と言う。

 

實は「そうしたら『私達はこうして一身同体となった(仮題)』という本を書こうか」などと、冗談とも本気ともつかない話をしている。

 

そうなれば、それもまた楽しみの1つとなろう。年を取ること、病を得ることは、若い頃や健常な頃と比べれば落ち込む要素であることは否めない 「仕方がない」とか「気にするな」などと言って、落ち込みを少しでも少なくしようという努力が必要だ。

 

お釈迦さまは「諦め」を説いておられる。年を取ることも、病を得ることも、「仕方がない」と諦めることは間違ってはいない。

 

しかし、私達夫婦は、年を取ることや病を得ることを単に「仕方がない」と諦めるに留まらず、つまり、若い頃や健常な頃まで引き戻すに留まらず、さらにそれを越えて若い頃や健常な頃以上に積極的に、年を取ること、病を得ることを楽しまなければならないという考えに至っている。

 

「仕方がない」と諦めるのではなく、年を取ったことや病を得たことを「人生を楽しむチャンスをもらった」と考えるのである。

 

年を取ったことや病を得たことを、人生を楽しむチャンスと考え、それを生活の中でどのように生かしていくか、それを考え出すことが本当の生活習慣の改善ではなかろうか。生活習慣改善を楽しみましょう。

 

平成18年(2006年)11月30日

田舎弁護士 千 田 實

妻 千 田 加代子

 

 

みのる法律事務所便り「的外」第199号 平成18年11月より抜粋

                 著 千田 實 弁護士

 

 
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