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いなべん(田舎弁護士) みのる弁護士法律事務所   「的外れ 2007年8月号より」

2016.12.19

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著者プロフィール

弁護士 千田 實 氏(ちだ みのる)

みのる法律事務所 所長

 

雅号 青空浮世乃捨

 

 

〜メディカルフードサービスとのつながり〜

 

MFSも賛助会員として参加しているNPO法人食事療法サポートセンターの理事として千田實先生も活動されております。

当社代表 松島は千田實先生の著書を読み、深く感銘を受け、少しでも多くの方に食事療法を長く続けて欲しいと思いニュースレターに抜粋記事として掲載していきます。

 

 

千田先生についてさらに詳しくはこちら→ http://www.minoru-law.com/profile.html

 

 

 

いなべん(田舎弁護士) みのる弁護士法律事務所

奇 跡―――それは、心が起こす

 

 

去る8月22日の宮城県気仙沼市倫理法人会モーニングセミナーに出席しました。

社団法人倫理研究所法人局参事 小林桂子先生のご講話がありました。

 

お話の骨子は、極めてアバウトになりますが、嫁として姑に反発していたところ、高校生の娘が交通事故に遭い、瀕死の重傷を負ったとのことです。

 

自分が至らなかったからかもしれないと反省をし、姑にお詫びをしたところ、奇跡的にも娘さんは一命を取り留めた上、後に難しい後遺症まで完治したという体験と、

ご自身が洗面器いっぱいの血を吐いたが、病院に行かずに倫理研究所の勉強会に出席したところ、いつの間にやらその病気が完治したという体験話でした。

 

自然科学的には、小林先生のお話は容易には説明はつかず 「嘘ではないだろうか」と思う人もいるのではないかと思います。

 

現に先生のお話では、この話を聞いていた某病院長が「そんな話は嘘だろう」と言ったとのことです。

 

確かに、私どもが学んできた自然科学万能の世界では、理解や納得がし難い気はします。

しかし、本当に自然科学は万能なのでしょうか。

 

この世に生を受けて65年になりますが、いくらかこの世の中の出来事は理解することができますが、この世に生まれる前の数千年、数万年、いや数億年のことは全くわかりません。

死んだ先がどうなっているのかについても、全くわかりません。

 

これまで生きてきた65年間などは、無限の過去と無限の未来の中ではほんの一瞬の瞬きに過ぎません。

知らないことの方が、知っていることより遙かに遙かに多いのです。

その65年間の勉強や体験から全てを理解、納得したような顔をしていますが、誠に恥ずかしい限りです。

 

私達が万能と信じ込まされてきた自然科学などは、ほんの小さな枠の中にあるに過ぎない気がします。

自然科学では説明しきれない出来事は、あるであろうと思えてなりません。

 

皆さまは、いかがでしょうか。

 

これは私自身の体験ですが、平成17年(2005年)に入り、岩手医大の教授より

「人工透析をしなければならないかもしれない」と言われ出し

「人工透析の準備をした方がよい」と言われ、

ついには「人工透析をする他はない」と言われました。

 

この時期、私ども夫婦は悩みに悩み抜きました。

 

「人工透析をしたら、何年生きられるのだろうか」とか、

「人工透析をして、体調はどのようになるのだろうか」とか、

「仕事は続けられるのだろうか」とか、

「東京で勉強している子供達に仕送りができるだろうか」とか、

「長い間手伝ってくれている事務員たちはどうなるのか」等々、

考えれば考えるほど落ち込んでしまいました。

 

私はついにノイローゼ状態となり、不眠症に陥ってしまいました。

 

夜中の2時、3時に、妻の運転する車に乗って家を出て、空が明るくなるまで岩手県南や宮城県北を走り回り、いくらかうつらうつらとするような日が数ヶ月も続きました。

 

岩手医大の教授から

「もう透析する他はない」とはっきりと言われたのは、

平成17年(2005年)の6月初めでした。

 

ここに至って、私は

「そうか、もう透析は避けられないのか。だったら、透析を組み込んだ生活設計を立てよう」

と思うようになりました。

 

それまでの

「透析はどうしてもしたくない」

という思いが吹っ切れたのです。

 

心が切り替わったのです。

 

岩手医大の教授からは

 「腎臓に負担がかかるので、腎臓を労るため、運動は抑えて下さい。散歩もしないで下さい」と言われ、

 それを忠実に守っていたのですが、

 「人工透析は、腎臓を使わないで人工的に透析するのだから、もう腎臓を労る必要はない。散歩をしてみよう」

 という思いに至りました。

 

 しばらく歩いていませんので、最初は事務所の会議室のテーブルの周りを10周、20周、30周と歩き、

 その後、庭を10周、20周、30周と 徐々に散歩の時間を増やしていきました。

 

 歩き出したら、 「まだ歩ける。まだ大丈夫だ」 という嬉しい気持ちになってきました。

歩く時間を長くするに従って、どんどん自信がついてきました。

 

1ヶ月も経たないうちに、1時間歩くことが苦にならなくなりました。

人工透析は覚悟していましたが、1時間も歩けるようになり、

「俺の身体も満更ではない」

 という変な自信が湧いてきました。

 

妻は、私の出張のときの車の運転など一手に引き受け、私と行動を共にしていましたので、自分だけで遠くに出かけるなどということは、結婚以来全くありませんでした。

 その妻が平成17年(2005年)7月に、透析が避けられないと覚悟した直後、

 「インターネット情報で、東京四谷で腎不全の食事の勉強会が開催される、とのことです。私が1人で出席してきます」

 と、思いもかけないことを言い出しました。

 

「珍しいこともあるものだ」

と思いながら、

 「勉強することはよいことだから、行ってこい」

と送り出しました。

 

妻は、平成17年(2005年)7月15日、

開催時間より1時間も前に会場に着いたそうです。

 

係の杉山さんが1人会場におり、妻に話しかけてくれました。

「どこから来たの?」とか 

「誰が腎臓が悪いの?」とか聞いてくれた上、

私の腎臓の状態を示す検査データを尋ね、それを妻が答えると

「その程度の状態なら、まだ人工透析は早い。昭和大学藤が丘病院客員教授の出浦照國先生なら、食事療法で透析を延ばしてくれるはずだ。先生の診察・治療を受けてみてはどうですか」

と勧めてくれたそうです。

 

妻は、直ちに「是非そうお願いします」と言ったところ、杉山さんはその場で出浦先生に電話を入れてくれたそうです。

「出浦先生は、7月19日に古川市(現大崎市)の永仁会病院に出向くので、そこに来てみてはどうか」と誘ってくれたのです。

 

妻は、私の仕事の都合もあろうとその場から私に電話を入れてきました。

私は、二つ返事で

「仕事を犠牲にしても、診察・治療を受けたい」

と答えました。

 

出浦先生の初めての診察は、平成17年(2005年)7月19日、古川市(現大崎市)の医療法人永仁会永仁会病院で行われました。

あれから丸2年が経過しましたが、出浦先生とスタッフの指導により、食事療法で透析を延ばしております。

出浦先生は、平成19年(2007年)4月22日に福島市で行われた「第68回東北臨床栄養研究会」において私のことを紹介し 

「5年、 、 いや10年は透析をしなくてもよいのではないか」

と言ってくれました。

 

さらに、平成19年(2007年)7月3日の診察日には

「もしこうなれば奇跡という他ないが、もしかしたら透析を、しないで済むということも全くないとは言えない」

とまで言って下さいました。

 

「透析をしなければならないかもしれない。透析はしたくない」などと考えて落ち込んでいたときは、何もかも悪い方向へ転がっていました。

その代表がひどい不眠症です。

 

それが、透析を覚悟し、透析後の生活設計を考え出した途端、身の回りの全てのことが好転し出したのです。

 

それまで全くやめていた運動や散歩を再開することによって気持ちが爽快となり、身体に生気が戻ってきて、やる気が出てきたことは、自然科学でもそのメカニズムの説明がつく部分ではありそうな気もします。

つまり、散歩によって血行がよくなり、体調が戻ったと考えることもできそうです。

 

しかし、それまで勉強のことなど全く眼中になかった妻が、突然「勉強会に出席する」と言い出したり、

勉強会場で杉山さんと話ができ、出浦先生を紹介してもらい、それから4日後には出浦先生の診察を受けられたということは、単なる偶然と考えていいのだろうか、と最近思うようになりました。

 

心が切り替わったことによって、全てのことが好転しました。

しかも、心が切り替わってわずか1ヶ月余という短期間に、次々と奇跡とも思える出逢いが生まれたのです。

 

奇跡が生まれるには、心が重大な役割を果たしているように思えてならないのです。

 

気仙沼市倫理法人会会長 熊谷光良さんは、平成19年(2007年)8月23日付の書面において、

「事業は失敗の繰り返しである。よかれと思ってやったことも、なかなか思うようにならない。大窮地に陥ったときは、一切を投げ打って捨ててしまうのである。すると、思いもよらぬ好結果が突如として現れる」と書かれています。

『万人幸福の栞』(社団法人倫理研究所)には

 「一生に二度と出逢うことのない、大窮地に陥ったときこそ、度胸の見せどころである。一切を投げ打って捨ててしまう。地位も名誉も財産も生命も、このときどういう結果が生まれるであろうか。まことに思いもよらぬ好結果が、突如として現れる。いわゆる奇跡というのはこうした瞬間に起る。常識をはるかに超えた現象に名付けたものである」(87頁)とあります。

そういえば私も、「透析はしたくない」などとぐちゃぐちゃ考えていたときには、

悪い方向へ、悪い方向へと私の運は動いていましたが、「もう絶対に透析は避けられない」と覚悟を決め、透析に入った後の生活設計を立てたとき、

 

「透析は週3日間、4~5時間かかる、とのことだ。この日は一切仕事をやめて、本書きに専念しよう」という気になりました。

私の夢は、本を書くことにありました。

しかし、弁護士業務を投げ打ってまで本書きに夢中になることはできず、いつももやもやしていました。

週3日間も仕事をやめ、本書きに専念できるのは、これはもう神様が与えてくれたチャンスだと思うようになりました。

そんなふうに思うようになってからは、透析を憂えることはなくなりました。

まだ透析には入りませんでしたが、本書きの方は直ちに着手しました。

 

透析を覚悟してから、

平成17年(2005年)9月に『田舎弁護士の大衆法律学 保証の巻 情が仇、仇は情 田舎弁護士の大衆法律』(本の森)、

平成18年(2006年)3月に『田舎弁護士の大衆法律学 刑法の巻 その一 常識がハカリ』(本の森)、

平成18年(2006年)8月に『いなべん物語1 終戦の巻 わが家族の段』(本の森)、

平成18年(2006年)11月に『田舎弁護士の大衆法律学 憲法の心』(本の森)、

平成19年(2007年)4月に『減量で、糖尿病と高血圧が治った――生活習慣病は、患者も主治医 いなべん物語2』(有限会社エムジェエム)、

平成19年(2007年)8月に『終戦の巻 わが隣人の段』(有限会社エムジェエム)の6冊の本を発刊できました。

 

人工透析を覚悟した途端に、これまでにはないようなハイペースで本が書けるようになりました。

まさに、心が切り替わっただけで奇跡的な結果が生まれたような気がします。

 

心が変われば、行動が変わります。

行動が変われば、習慣が変わります。

習慣が変われば、生活習慣病が改善されます。

生活習慣病が改善されれば、人生・運命が変わります。

人生・運命が変わることは、奇跡的なことです。

その奇跡的とも思える効果は、人間の心が起こすものであることを実感しています。

 

一度は透析を覚悟したのですが、

前述のとおり食事療法で今なお透析を延ばしています。

透析を延ばしているだけではなく、自覚的には体調は万全です。

長い間、白内障で昼でも夜のような視力しかなかったものが、出浦先生の紹介で平成19年(2007年)6月に昭和大学藤が丘病院の谷口重雄教授の執刀により手術を受け、完璧に視力が回復しました。

 

出浦先生やそのスタッフからは、時々「やりすぎだ」と叱られますが、両手首に1kgずつのダンベルを巻いて、

1日2時間のウォーキングと腕立て伏せなども取り入れたストレッチ運動も欠かしません。

末っ子には「オヤジ、 、裸を見ると若者のようになってきた」などと煽てられ、その気になっています。

いったんは人工透析を覚悟しました。

人工透析を受けますと、身体障害者障害程度等級第一級の認定が受けられます。

つまり、重度の身体障害者となるわけです。

そのことは以前より承知しておりましたので、人工透析を覚悟した時点で「身体障害者となるのだ」という覚悟も決めていました。

 

そんな覚悟を決めた瞬間から、思いもよらぬ好結果が次々と現れてきました。

『万人幸福の 栞』が言う「奇跡」です。

つまり、常識をはるかに超えた現象が生まれたのです。

この奇跡は、心が切り替わった瞬間に次々と生まれてきました。

奇跡は、心が起こすものだというのが実感です。

 

このような経験を踏まえ実感したのは、『万人幸福の 栞』の序に、

苦しみを喜んで迎え、病気になれば『おめでとう』という時代がきた。それは、苦難は幸福の門であり、万人が必ず幸福になれる絶対倫理が現れたからである。それは、宗教でも、主義でも、学説でもない。実行によって直ちに正しさが証明できる生活の法則である」との言葉です。

「倫理」とは、「人としてこうでなければいけないと考えられる生き方の原則」ですから、 

苦難は幸福の門 と考えることが、人としてあるべき姿だということになるのではないでしょうか。

 

私は、「腎不全」と宣告され、「あなたの腎臓は10%も機能していません」と言われ、一時は落ち込みました。

しかし、まさしく 苦難は幸福の門となりました。

 

食事療法で減量を始めたところ、それまで嫌いだった野菜の旨さがわかるようになりました。

平成18年(2006年)元旦に、

「米旨し 野菜も旨し ダイエット」

という拙い一句を読みました。

 

ダイエットすることによって、野菜の旨さを知ったのです。

朝・晩、ウォーキングを続けるようになって、出っ張った腹がへっ込み、二重、三重アゴがスッキリし、

「先生若くなった!」と言われるようになりました。

早寝、早起きが生活習慣となり、朝の頭のクールなうちにいろんなことが考えられるようになりました。

最も 苦難が幸福の門 になったと思えるのは、「死」を現実のものとして考えるようになったことです。

 

それまで死に対しては漠然とした恐怖感などは持っていましたが、現実のものとは考えられませんでした。

腎不全を宣告され、死は現実のものと考えるようになりました。

その結果、「残された人生をどう生きたらよいか」とか、

「どんなふうに死んでいこうか」ということを真剣に考えるようになりました。

 

そして至った結論は、

「残された人生を楽しみ尽くそう」というものでした。

 

平成18年(2006年)10月に、

「浮世をば楽しみ尽くせ 病まで」という、

これまた拙い川柳を詠みました。 

 

死を現実のものとして意識するようになり、これまでの生活ぶりを振り返り、今後の生活を考えました。

「35年余、ひたすら弁護士業務に従事し、小金を稼いできたが、死ぬまでこれでよいのだろうか」、

「もっと人の役に立てないものだろうか」

などと考えるようになりました。

 

そして思い至ったのが、

「自分の体験を生かして、生活習慣病の予防運動ができないだろうか」ということでした。

妻と相談し、「体験談を出版しよう」ということになり、

平成19年(2007年)4月に『減量で、糖尿病と高血圧が治った――生活習慣病は、患者も主治医』を発刊しました。

引き続き現在、『食事療法は、奇跡の療法――生活習慣病は、患者が主治医』を夫婦共著で書いています。

腎不全という重い病を得たために、私達夫婦は充実した毎日を送っています。

 

私達は、「生活習慣病予防宣言」を提言しようと考えています。

平成19年(2007年)8月22日の宮城県気仙沼市倫理法人会モーニングセミナーにおいて、

「宮城県気仙沼市倫理法人会が『生活習慣病予防宣言』をされてはどうでしょうか」と提言させていただきました。

これは、各事業所などにおいても実行して欲しいと心底より願っております。

例えば、「私達は生活習慣を改善し、生活習慣病を予防することを宣言する」というような文章ではいかがでしょうか。

どのようにして生活習慣を改善するのか等については出版する本においても述べますが、直接お話しする機会を得られれば、どこにでも出向いて話したいと考えています。

 

どうぞ、お声をおかけ下さい。出逢いを楽しみにしています。

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