「上杉謙信と塩①」

2017.04.17

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1. 上杉謙信と塩①

 大変お久しぶりでございます。

メディカルフードサービス歴史担当の山田です。

 

初めての方もいらっしゃると思いますが、このニュースレターの最初期に私の大好きな歴史と私が働いている業界「食」を強引に結びつける文章をお送りしておりました。

 そして今回も懲りずにやります。

 

さて、表題でピンとくる方は多いと思いますが、あえて説明させてください。(説明したい。)

 

 「敵に塩を送る」という言葉があります。

 故事ことわざ辞典で調べると

 「敵に塩を送るとは、争っている相手が苦しんでいるときに、争いの本質ではない分野については援助を与えることのたとえ。」

 

具体的には戦国時代、遠江の今川氏(伊豆とか東静岡の方です。)と相模の北条氏(小田原や箱根の方です。)の両氏から甲斐の武田信玄(長野や山梨にお住まいでした。)が、経済封鎖をされ塩不足で困窮していたとき、長年敵対関係にあった越後の上杉謙信(新潟県にお住まいでした。)が武田信玄に塩を送って助けたという話に基づきます。

 

ちなみに、この故事ことわざ辞典には “用例”として

 

「相手の弱みにつけこまず、敵に塩を送れるような男に育って欲しいという願いから、息子に『塩』と名づけた」

 

 

そこは『謙信』なのではとツッコミを入れたくなる素晴らしい例文ですね。

 

 

本題に戻りましょう・・・

 

 

意外かもしれませんが、世界史的に塩の生産は岩塩から採るのが主流です。

もちろん日本においては岩塩などの塩資源に恵まれていないので海に頼らざるを得ません。

 

武田信玄の領土、甲斐国は内陸に位置し、今の甲府盆地を中心とした場所にありました。

 

前述の通り日本の塩は海に面した国で生産され、内陸の武田氏は高額で取引をしていましたが、武田氏が遠江の今川氏と相模の北条氏の両氏と政治的緊張状態に突入し、両氏は太平洋側に面しているので海路から武田氏への物流網を閉鎖してしまいました。

 

日本海側の越後には信玄の永遠のライバル、上杉謙信がいるため、当然塩の流通は望めない状況でもありました。

 

 

上杉謙信と塩②に続く

メディカルフードサービス

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